一向宗徒

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  • 一向宗徒二百人が一時に改宗するというようなこともあった。 和辻哲郎『鎖国日本の悲劇 (後編)』より引用
  • 秀吉に仕官する以前の経歴は明らかでないが、一向宗徒であったという説がある。
  • 越中にも、そのとなりの加賀にも一向宗徒という強大な勢力が存在するのだ。 池波正太郎『蝶の戦記 上』より引用
  • 一向宗徒たるいわゆるエタは、畜生は殺すが人間の子は殺さない。 喜田貞吉『融和問題に関する歴史的考察』より引用
  • さらに8月に越前・加賀で一向宗徒を鎮圧し、同地を支配下に置くに至った。
  • 今後、信玄は加越の一向宗徒をも味方につけて、越後を包囲する作戦に出てくるに違いない。 咲村観『上杉謙信地の巻』より引用
  • 徳川家康も、つい四年ほど前に、自分の領国である三河の一向宗徒の反乱に苦しめられているほどであった。 池波正太郎『蝶の戦記 上』より引用
  • 江州ごうしゆうも半分以上の者が一向宗徒いつこうしゆうとだ。 海音寺潮五郎『天と地と(四)』より引用
  • 佐橋家の家譜かふ等では、甚五郎ははやく永禄えいろく六年一向宗徒にくみして討死している。 森鴎外『佐橋甚五郎』より引用
  • 事実、石山本願寺が和を乞うて以後は、一向宗徒を殲滅するような事はなかった。 池宮彰一郎『本能寺(下)』より引用
  • 信長は、一向宗徒を殲滅せんめつしようというのではない。 池宮彰一郎『本能寺(上)』より引用
  • これは慶長4年日向国において庄内の乱が勃発、この首謀者である伊集院忠真の父・忠棟が熱心な一向宗徒という説があり、乱後に改めて正式に一向宗が禁止されたのはこのことが大いに影響しているものという説がある。
  • 前年に信長は本願寺を攻撃、さらに越前国に侵攻したため、顕如と越前の一向宗徒は謙信に援助を求めていた。
  • 二日後、景虎は二千の兵を率いて、越中に侵攻し、椎名康胤等一向宗徒を討った。 咲村観『上杉謙信人の巻』より引用
  • 一向宗徒を使嗾して、謙信を足止めしたのは、他でもない石山本願寺の顕如光佐けんによこうさである。 池宮彰一郎『本能寺(上)』より引用
  • 中世、越中国の一向宗徒の支配下に入った。
  • 長篠合戦には、光秀の出陣を命じなかった信長だが、今回の一向宗徒討伐には酷使した。 池宮彰一郎『本能寺(下)』より引用
  • 一向一揆の指導的立場にあり、一向宗徒が冨樫政親を高尾城に攻め滅ぼした長享の一揆では、総大将冨樫泰高の下で実質的なの指揮権を握った。
  • だが、一向宗徒・宗門は、一向宗を信仰せぬ信長を「仏敵」と定め、反信長戦を宗教戦争と断じた。 池宮彰一郎『本能寺(上)』より引用
  • 享禄四年加賀の一向宗徒、大一揆と小一揆に分かれて戦う。 海音寺潮五郎『天と地と(一)』より引用
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