一向に要領を得
17 の例文
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そこを立ち出でてから路傍の人をたずねて、事のいわれを問うてみるが、一向に要領を得ない。要領を得ないのではない、得させないのは、言語の不通がさせるのだ。
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その店員は、刺された男と私が一緒にいたことや、私が彼を追うように店を出ていったことを警官に話したのだ。そこで警官が私に詰問したわけだが、私の答えが一向に要領を得ないので、これはきっと衝動的に刺し殺したせいで気持ちが動転しているのだと解釈し、その場で急遽逮捕したというわけだ。取調べに当たった刑事は、最初から私を犯人と決めつけていて、自分の仕事は供述調書を取ることだけだと考えていたふしがあった。
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それでも、四十分ほどで病院に到着した亜由美は、ともかく、病院へと駆け込んで行った。受付の女性の返事は一向に要領を得なかった。その挙句に、 「救急病棟の方へ回って下さい」 とやられて、亜由美は怒鳴りつけたいのを我慢しながら、〈救急〉と書かれた矢印を辿って行った。
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分隊隊務的なかかわりというのは、前にも少し触れたが、一個艇隊の下士官兵十四名を預かったことだ。しかしそれが一向に要領を得なかった。私はその隊員たちの艇隊長の筈であった。
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またここには「おきよ」も「丹波の助太郎」も登場しない。一向に要領を得ない絵ではあるが、とにかく当時すでに四代目團十郎の演じた『蛇柳』の内容が詳らかでなくなっていたことは間違いなく、歌舞伎十八番が制定された時も、四代目が大当りを取ったらしいというだけの理由でその中に入れられた可能性が高い。近代になって五代目市川三升は上演の絶えていた歌舞伎十八番の復活を志し、『解脱』、『嫐』、『七つ面』など次々に上演したが、この『蛇柳』は上演するための材料の乏しさからか、なかなか手をつけずにいた。
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一体何がどうしたのかちっとも判りません。与助をいろいろにすかして調べてみましたが、なにをいうにも口もろくろくに利かれない低能児ですから、一向に要領を得ないには困りました。しかしその現場のありさまで二人の死因だけは容易に判断することが出来ました。
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一種の鬼女になっているような彼女は、噛みつくようにお直に食ってかかって、こんなことでは今までの手紙もたしかに兄さんにとどけてくれたかどうだか判らないなどと云った。それでもお豊の仲裁で、その方は先ずどうにか納まったが、一方の藤太郎が出て来ないのと、一方のお紋は半気違いのようになっているのとで、お豊が心配している肝腎の善後策は一向に要領を得なかった。彼女もこれには当惑して、お紋をなだめて待たせて置いて、再び藤太郎を呼び出しにゆくと、彼はまだ戻らないとのことであった。
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さてそれを讀み了つて見ると、抑も何が書いてあつたのだか、當時のうぶな少年の頭には人生の機微がただ漠然と映るのみで、作物の趣旨に就ては一向に要領を得なかつた。それにも拘らず、外景を描寫したあたりは幻覺が如何にも明瞭に浮ぶ。
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翌日は平次と八五郎は、山谷の田圃に鼠の巣のやうな巳之松の家を訪ねましたが、留守をしてゐるので、十六七の可愛らしい娘が一人、何を訊ねても、一向に要領を得ません。「巳之松はどうしたんだ」 と訊くと、 「昨日から歸つて來ませんよ」 と應へるだけ。
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ところが、袱紗の中から現れたのは、きたない鉦と撞木であった。番頭は、仰天して、老婆を小突きまわして、責めてみたが、一向に要領を得なかった。ようやく、判ってみると、浅草雷門の地べたに坐っている乞食であった。
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名前が売れていない一圓は出演者としてでなく、質問を受ける客として声が流れた可能性もある。早速、ラジオ局へ問い合わせてみたが一向に要領を得ない。こうなれば実際に局へ出向いて行って録音テープを聞くしかない。
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這んな事で一向に要領を得ず、山頂の方では、僅かに埴輪の破片を見出したのみ、それで大發掘の第一回を終つた。余は折角着込んで行つた探檢服に、少しも泥を附けずして宅へと引揚げた。
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高齢者の多い入居者は、それだけ甲羅を経ている。警察の追及をのらりくらりと躱して、一向に要領を得ない。都合が悪くなるとぼけた振りをする。
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判決文には、 「妹の絵島を遊女どもと参会せしめ役者どもとも参会せしめた」 とあるが、参会とは明確に言ってどういう行為をさすのか、肝心な個所なのに一向に要領を得ない。もし十年前、稲生家との見合が目的でしぶしぶ同行した山村座での観劇を「狂言座に相伴い」というのなら、それこそ噴飯ものである。
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怯えるばかりで一向に要領を得ない。力いっぱい僕の服を掴んだ、こよりの手が震えている。
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つまり対内政策の必要上、外国侵略を主張するもので、この同じ木戸が五年後には、征韓論反対の巨魁の一人となったのも、全く同じ対内的理由からである。明治三年、外務権大録佐田白茅、同少録森山茂は使節として朝鮮に向い、朝鮮政府と談判したが一向に要領を得ず、憤慨して帰国した佐田と森山とは、それぞれ建白書を奉って、征韓を主張した。明治五年八月、政府は外務大丞花房義質を特派したが、滞在中その公館を封鎖に近い状態に置かれ、何ら得るところなく帰国した。
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