モチゴメ
全て
名詞
18 の例文
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米を作ってくれるかかし型の小型ロボット。もちつきロボットに餅をつかせるための餅米を作るのに使用された。ただし米を作るには田が必要で、作中ではしゅみの日曜農業セットの「たんぼロール」に似た道具で田を用意した。
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同年12月28日から12月31日まで、大長組の若衆は、畑田町の空き地に臼を並べて、餅つきを行った。妻・君子は餅米と磨いでいたが、体調不良の為、火鉢に当たって休んだ。母・静江が、君子が休んでいることを咎めた。
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朝文さんが土産と言って、餅米を一包み持って来てくれる。まことにありがたいが、途中調べられるようなことがあると煩いと思う。
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同音の字として「餅」があるが、本来、「餅」はモチ性の穀粒などを蒸した上で搗くなどして作られた食物をいうのに対し、「糯」はアミロースを全くあるいはほとんど含まない性質を持つ作物を指す。ただし、近年では餅米と表記されていることもある。糯米に対してアミロースを含む粘り気が少ないコメは粳米、粳という。
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当時の函館図書館館長であった平出喜三郎は、1918年から評議員会を開いて個人的に毎月80円を図書館に寄付、そのうち70円を岡田の収入にあて、後の市立図書館開館まで岡田家の家計を支えた。正月を迎える餅がない年には、匿名で餅米を差し入れた友人もいた。
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仕様が無いですもん、わたしゃなんか食べさせなち思うて、甘酒を造っちょいたです。甘酒なら米と餅米ででけちょりますもんね、栄養があるとでしょうが。酒はもうビールをコップにいっぱいも飲めんとですが、甘酒なら茶呑みにふたつぐらいがぶっと呑んでですね、そして山に戻って行くですたい。
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サムネイル|かれい最中 かれい最中は、大分県速見郡日出町の銘菓で、日出町特産の高級魚城下かれいの形を摸した最中である。餅米を焼き上げた城下かれいの形の皮に粒餡を詰めた最中である。
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長屋で持っている臼と杵を餅屋に持ち込んで、その庭でつかせてもらうのだ。貧乏長屋には、いっぺんに大量の餅米を蒸すことのできる大きな竃がない。餅米は餅屋で蒸してもらい、あとは長屋の住人がついて、餅にして持って帰る。
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貧乏長屋には、いっぺんに大量の餅米を蒸すことのできる大きな竃がない。餅米は餅屋で蒸してもらい、あとは長屋の住人がついて、餅にして持って帰る。餅屋の庭や土間では、他にも幾組もの餅つきがにぎにぎしく行われていた。
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朝鮮半島にも、中国のものとよく似たスンデと呼ばれる豚の血を使った腸詰めがある。血のほかには香味野菜や餅米、あるいは麺類を具として加える。塩胡椒を添えて軽食にするほか、炒め物や鍋料理の材料にも使う。
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当初は粟を原料としたが、寛政2年に四代孫左衛門が原料を餅米に替え琥珀色透明の水飴を製造した。餅米を原料とすることは、当時すでに「粟飴」として知られていたことと米穀流通を管理する藩令に抵触する恐れがあったため秘密にされたという。蒸した餅米に麦芽と湯を加え、麦芽酵素によって餅米の澱粉を糖化させる。
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餅米を原料とすることは、当時すでに「粟飴」として知られていたことと米穀流通を管理する藩令に抵触する恐れがあったため秘密にされたという。蒸した餅米に麦芽と湯を加え、麦芽酵素によって餅米の澱粉を糖化させる。この原液を濾して甘味のある液体を取り出し、煮詰めて水分を飛ばす。
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そのためこの地を「立縫いの里」と呼ぶ。住人たちは出航に合わせて餅を作る予定をしていたが、急遽、小豆と餅米を一緒について渡した。これを「お船出団子」と言い、今に至るまで美々津の名物となっている。
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また、耕地では薩摩芋・裸麦・陸稲・糯粟・馬鈴薯・玉葱・大根等が作られ、島民の日々の糧となっていた。しかし、その地質から餅米を除く稲作を行う事は出来ず、全てを他所からの輸入に頼らざるを得なかった。漁業については、当時本土の市場まで輸送する手段が整っていなかった為、殆どが自家用の漁撈である。
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thumb|大手饅頭 大手饅頭とは、新潟県長岡市の土産菓子で、紅屋重正によって作られている酒饅頭である。現在も昔ながらの製法で作られており、地元新潟産の良質な餅米をはじめ厳選された各種素材を使用している。餡に黒砂糖が使用されているのも大きな特徴である。
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この秋出来の餅米を、ばさまにお初穂につて、ちつとべ調製して、おつかと俺で今朝ついた。りき そうかや。
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南の鉄格子の窓に映っている弱い日かげが冬至に近いことを思わせた。彼は、正月の餅米をどうしたものか、と考えた。
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