ブリチシ・ミュージアム
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探検隊がこの碑文を読んでみると、これこそかの有名なるバビロン王ハムムラビの法律であって、総計二百八十二条の法規が彫り附けてあるが、そのうち表面の五欄にあった第六十六条乃至第九十九条は、後に鑿除せられたように見えて、現今読み得べきものは二百四十八条だけである。その後ちシェイル氏は前にいうたブリチシ・ミュージアムにある粘土記録の破片からその削り去られた法文中の三箇条を見出してこれを填捕した。この三十四箇条を削り取ったのは何故であるかは確と分らぬが、多分後にバビロニアを征服したエラム王のスートルーク・ナクフンテが、戦勝の記念文を彫り附けさせるために削ったものであろうと言われている。
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その後ちアッシリア王アスールバニパルの図書館が発掘され、その中にあった粘土記録の破片数個はブリチシ・ミュージアムに陳列されてあるが、アッシリア学者は、この記録はアスールバニパル王の法典の一部であるとしておった。しかるにマイスネル博士はこの破片を精密に研究した結果、この破片の法文はその文体より推すも古バビロン時代に属するものなることを知り、一八九八年にその説を発表して、この破片の本体たる法典はアスールバニパル時代のものに非ずして、バビロン王統の初期に属するものであろうと言うた。
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