バリクル
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名詞
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追撃する清軍は翌1716年、敦煌、ハミ、バリクルに屯田を開く。
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論争は翌光緒元年まで続いたが、軍機大臣文祥が賛成したため海防・塞防どちらも行う方針で決定され、欽差大臣に任命された左宗棠はヤクブ・ベクの乱により清の支配力が弱体化した新疆の軍務を担当し、副将の金順・劉錦棠・史念祖・譚鍾麟らを従え、新疆東部で清の数少ない拠点ハミで屯田持久策を採り、出兵を整えていた。光緒2年5月、左宗棠の先鋒部隊はハミから北のバリクルへ進駐、西へ進みウルムチ近郊でヤクブ・ベク軍と衝突、金順・劉錦棠はこれを退けウルムチを落とし、その他の拠点も奪回し新疆北部を手に入れた。翌光緒3年3月には劉錦棠がウルムチと新疆南部を繋ぐ達坂城を落城、部将張曜も南部を西進して劉錦棠と合流した。
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