ジュズ玉
全て
名詞
18 の例文
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一、釣糸をのみ、針が胃袋にひっかかった場合。これは数珠玉を糸に通して屈伸自由の一個のステッキと変えてぬきとる。二、甲虫のごとき小昆虫が耳に入って出でざる場合。
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けれど、正ちゃんは、だまって下を向いて、じゅず玉を通していました。
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しかるに、正ちゃんだけは、そんなことも耳にはいらないように、じゅず玉をとおしていました。じゅず玉の輪ができ上がると、正ちゃんはよろこんで躍り上がりました。
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これはヨクイニンと読む。おまえたちが毎歳採ってくる、あのジュズ玉の皮を取ったものなのだと教えてくれた。これを聴いた時からちょうど七十年、まだ宿根は残っているものとみえて、今頃またこのような話を花咲かしめることになった。
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沖合を通る漁船の漁夫たちは、宙なる妖火と、墓場のような工場の蒼白い光とを眺めて、縁起でもねえと身震いした。夜光虫を数珠玉にしたような長い桟橋は、暗い海に突き出された悪魔の槍に似ていた。この桟橋には、約二週間ごとに二十万トン級の大型タンカーが入れかわり立ちかわり現れては横付けされた。
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庭のじゅず玉の実を集めて、それでお手玉を作ってくれた。「遊びに来ないか、母もきっと喜ぶよ」 亮がそういいかけた時、三沙はロビイを横切ってくる篠崎和子のターコイズブルーのミニドレスを見た。
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「さあ、こっちにおいで」 だが戸口の男はやって来なかった。はじめての場所で目を覚ました人みたいに、じゅず玉のような小さな眼をぱちくりさせて我々を見まわしながら立っていた。アドルフ・ドラッカーは背丈が五フィートそこそこだった。
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ずいぶんと長い時間のようにも、あっという間のようにも思えた。数珠玉のように続いていた客の流れがとだえた。スチュワーデスが叩頭した。
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「過去から未来に向つて飴の様に延びた時間といふ蒼ざめた思想」ということで、かれがこき下ろしたかったのは歴史的必然論だったろう。だが忘我の時間体験によっても、それぞれの時代にいまの瞬間しかない時間を数珠玉のようにつないでみても必然論が超えられるはずはない。また愛惜に裏づけられた「思ひ出」によって歴史が再現されるものでもない。
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靴下を買いに来て靴下がどうでもよくなるこの事態はおまえの人生を象徴してるよ、イタガキの言葉は数珠玉みたいに結び付く。その数珠玉がことりと胸の中に落ちると、聞き慣れた曲の合間に、ふと昔の私が覗きこんで笑う。何やってんのあんた?
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南の島には松の木はないはずだから、これは国の近くの浜から来たものだろうなどといい、かたみに松木の膚を撫でてなつかしみ、朝ごと入江に出て、国の木々の端くれを探しだすのをたのしみにするようになった。国の木は勿体なくて焚木にされず、乾しあげて数珠玉を彫ったり箸にしたりした。三月、四月とすぎ、五月になると、思いがけない暑気に襲われた。
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ガラス玉は発見時の24点のうちの一部と見られているが、木製数珠玉は発見時に1個が報告されており、記録に見られない発見として注目されている。出土遺物のうち、康和5年の経筒は東日本において最古の年記を持つ経塚遺物である点が注目された。
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正教会の伝承によれば、ある日、聖大パホミイが祈っている時に天使がやってきて、コンボスキニオンの編み方を耳元で教えた。そこで聖大パホミイは天使の教えた通りに、十二重に紐を編み、数珠玉を作った。これがコンボスキニオンの始まりと伝えられている。
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死亡年齢は60歳代 - 70歳代くらい、あるいは70歳前後。右手首に数珠玉の跡が二列並んでいた。遺体に副えられた副葬品は、木製の杖、木製・ガラス製の念珠、金装の水晶露玉、黒漆塗太刀鞘残片、羅、白綾、錦、金銅鈴など、京都のそれに勝るとも劣らない当代一流の工芸品であった。
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原っぱへいくと、ほかにも子供たちがいて、きちきちばったを追っていました。また、ほかの女の子は、じゅず玉を取ってくびかざりなどをつくっていました。
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その針箱には何が入っているんだい?リボンと数珠玉と総と造り花とが入っているの。彼女はテーブルの上にそれをざあっとあけた。
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レコード盤に歪んだ私が映る。靴下を買いに来て靴下がどうでもよくなるこの事態はおまえの人生を象徴してるよ、イタガキの言葉は数珠玉みたいに結び付く。その数珠玉がことりと胸の中に落ちると、聞き慣れた曲の合間に、ふと昔の私が覗きこんで笑う。
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