サルハド
8 の例文
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歿年はヒジュラ暦668年である。サルハドは田舎であり知的刺激に乏しく、彼がそれまでの人生で享受してきたカイロやダマスクスのような文化センターではなかった。それでも彼がそこを選び、生涯暮らした理由は、生活が保障されていたからかもしれないと、Hamarnehは推測している。
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それでも彼がそこを選び、生涯暮らした理由は、生活が保障されていたからかもしれないと、Hamarnehは推測している。後述する医学者列伝の『ウユーン』はサルハドで執筆された。ダマスクスでは、に医学を学び、にも学んだ。
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ラージーンはカラーウーンの女婿、ハリールとムハンマドの義兄弟という立場にあったがそれでもアミール達は彼の登位に慎重であり、待遇の改善とアミールたちが出した条件である専横、財産の没収、直属のマムルークの優遇の禁止を約束して推戴された。即位後はキトブガーをサルハドに左遷し、カラーウーンの女婿という立場上ムハンマドを無碍に扱うことはできなかったので、成人の折にスルターンの地位を返還する約束をしてカラクへムハンマドを移した。
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ヌールッディーンはまずハーリムとアパメアを攻撃してアンティオキア公国に圧力をかけ、その上でイナブの城塞を包囲してレーモンを戦場に引きずりだした。この戦いにはヌールッディーン率いるザンギー朝軍の他、ウヌルが派遣してきたサルハドのアミール、ムジャーヒドゥッディーン・ブザーン率いるブーリー朝軍も含まれており、騎兵だけで6000を数えた。一方、アンティオキア公国軍はクルド人アリー・イブン・ワファー率いるニザール派の兵と連合し、歩兵1000、騎士400を揃えてイナブへ急行した。
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曲折を経た後アーディルはダマスカスのアフダルと組んで、シリアを伺うエジプトのアジーズと対抗することにした。シリアへのアジーズの二度の攻撃を退けた後、彼はエジプトに乗り込んでアジーズを抱き込み、反アフダルに転じてダマスカスをアフダルから無血で奪取し、アフダルをサルハドへ追放する。
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これに伴い、アジーズはアーディルとともにダマスカスに侵攻し、アーディルがダマスカスを奪取するのを助けている。アフダルはダマスカスを退去し、サルハドへ逼塞した。アジーズはカイロへ帰還している。
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アイユーブ家出身の歴史家アブ・アル=フィダは、1225年にアフダルはサルハドで没したと記している。