カール公子

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  • こうしてカール公子は敵が分散しているうちに攻撃する機会を逃した。
  • カール公子はすぐ近くに若デッサウのより有力な軍がいることを認識していなかった。
  • カール公子の方も、状況が切迫しているにもかかわらず強行軍を行わなかった。
  • このオーストリア軍は、西からではなく東からやって来た、カール公子軍の前衛であった。
  • オーストリア軍には最高指揮官であるカール公子の後見役として老練なトラウンがおり、実質的には彼が作戦の指導を行っていた。
  • カール公子は会戦を求めて積極的にプロイセン軍に接近したが、敵の軍の分散をうまく利用できずみすみす合流を許した。
  • カール公子軍は大王の認識よりも早く西進しており、モルヴィッツの戦いのときとは違って十分に編成された軍を率いるカール公子は戦力に自信を持っていた。
  • この行動の結果、シュタインメッツの軍団はフリードリヒ・カール公子の指揮下に入る。
  • カール公子軍もケーニギンホーフでエルベ川を渡河し、プロイセン軍を追った。
  • このころ大王軍は、カール公子軍との距離にまだ余裕があると見ていたので、クッテンベルクを占領したあとコリンに兵を送ってエルベ川からの補給路を開設するなどしていたところで、深夜にビューロウが到着して若デッサウの危機を報告したことでようやく大王は実際の状況を認識した。
  • 敵の行動を全く把握していなかったカール公子軍はプロイセン軍の攻撃に対応できず、ザクセン軍を援護することもゲルリッツを救うこともできなかった。
  • オーストリア軍は16日の遭遇の後も若デッサウ軍の位置を把握していなかったのでこの接触は予定外で、カール公子とケーニヒスエッグは戸惑ったが、計画を変えて目前の敵を攻撃することにした。
  • カール公子は大王に対して2倍の兵力を持ち、奇襲を成功させる条件も有していたにもかかわらず惨敗を喫した。
  • カール公子は若デッサウの猛烈な抵抗から、彼は相当の戦力を有すると見込むだけだったが、しかしこのときオーストリア軍歩兵のほぼ全力が投じられていた相手は、プロイセン軍歩兵のおよそ三分の一に過ぎなかったのである。
  • 一方、カール公子軍はメーレンを回復したが、現地での食糧調達が不可能になっていると知ってそれ以降のプロイセン軍の追撃はすぐにあきらめた。
  • オーストリア軍の指揮は引き続きカール公子によって行われたが、前年にプロイセンを苦しめたトラウンはライン方面に転出していた。
  • このような中、カール公子はまず右翼騎兵を前進させてプロイセン軍左翼を突こうと試みた。
  • 大王の作戦は、カール公子軍がラウジッツへの進出を終えて十分自国に接近したところで一気に強襲をかけるというもので、諸部隊には北のクロッセンに移動する準備をさせるなど 、ホーエンフリートベルクの戦いのときと同じように作戦意図の欺瞞に抜かりなかった。
  • 一方のカール公子軍では、突如出現した若デッサウ軍の兵力が不明で、地形的にもローノウから北に向けては攻撃が困難と判断し、攻撃を見送った。
  • 大王の計略にかかったカール公子は、プロイセン軍は戦力を大幅に低下させており、ブレスラウまで撤退し続けると考えた。
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