れいがん
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名詞
18 の例文
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コンナハズデハナイ、という気がたえずあるが、どうしても絶頂感は得られない、つまり政治不感症ということになりそう。といって、決して男たちのやっさもっさを冷眼視しているわけではない。しかし、誰もかれも埃の中を走り廻って政治的絶頂感にいかれているとなると、シーソーのように私は沈んじゃう。
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軍人を批判することが、日本を冷眼視することにはならない。愛国者は軍人のみでないことは知る人ぞ知るである。
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私たちは何の考慮を煩わす事もなしに、ただ自分の家の門をくぐるのと同じような気軽い心持で出入する程度の宿屋であったのだが、漱石氏の神経はこの宿の閾をまたぐと同時に異常に昂奮した。まず女中が挨拶をするのに対して冷眼に一瞥をくれたままで、黙って返事をしなかった。
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お登和さんの方では温情どころか冷眼を以て貴君を視ておいでです。
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甚だしきに至っては、これはずっと後に耳にしたことであるが、プロ科が本会の成立に反対し、その反対を共産党が抑圧したという如き噴飯に価するデマまで飛んだという話である。だが本会はかかる一切のデマは全く之を冷眼無視して来た。かくの如きコセコセしたことを他に、本会は哲学・自然科学・歴史等、広汎な意味に於ける科学が現在如何に行詰まっているかに不変の関心を集中して来た。
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種田は家族の事については勉めて心を留めないようにした。おのれの妻子を冷眼に視るのが、気の弱い父親のせめてもの復讐であった。五十一歳の春、種田は教師の職を罷められた。
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また、ときには、遊ぶ心のゆとりである。彼を襲う憑依は熱狂であると同時におなじ質と量の冷眼でもあるのではないだろうかと、ふと思ったりする。彼はオットセイの鞭を、じつは、彼の内部に棲む一人の芸術家に食べさせているのだということになりはしまいか。
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この秘密は愚かしさと共に棲み乍ら最も正しい事情を掴んでいるのを常とする。冷眼には秘密はない、秘密を育てる力はない、理智はいつも衛生に止まる。人間の心の豊富とは、ただただこの秘密の量である。
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しかし夫人は、一緒に涙ぐんではくれたが、決してそのような冷眼を以て私を見ることをしなかった。勿論私の方も相手の心中を見透かすような心眼などは持ち合わせてはいないから、それは希望的な観測であることに間違いはないだろうが。
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学生業もカフェー業もすでに云ったように、「弱い商売」なのだ。と云うのは、之をいくら抑えつけても、世間が初めから之を白眼視し冷眼視しているか或いはしているような顔をしている以上、大丈夫世間から骨のある抗議は結局出て来る筈がないのである。尤も弱い商売にも色々あって、弱い商売でありながら仲々強いのもあるわけで、青楼などがその好い例であることはよく知れている。
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形式と内容との不即不離な関係は、屡氏自身が「雑感」の中で書いてゐるのにも関らず、忍耐よりも興奮に依頼した氏は、屡実際の創作の上では、この微妙な関係を等閑に附して顧みなかつた。だから氏が従来冷眼に見てゐた形式は、「その妹」以後一作毎に、徐々として氏に謀叛を始めた。さうして氏の脚本からは、次第にその秀抜な戯曲的要素が失はれて、氏自身のみを語る役割が、己自身を語る性格の代りに続々としてそこへはいつて来た。
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僕は何となく芥川龍之介の『手巾』を思ひ出した。女は自分の立場の釈明や、周囲の冷眼に対する反発をこの純白のハンカチに託してゐたのだらうか。これも一つの作劇術に於ける臭味かもしれない。
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兄の死を冷眼視するほど、彼女が厚顔無恥であるとしたならば、彼女を思ひ知らせるには、さうだ!彼女を思ひ知らせるには。
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或は我等の几側に侍せしめ、講釈を聞かせてやるに足るものも存外少からざらん乎。と言へば大言壮語するに似たれど、兎に角彼等を冷眼に見るは衛生上にも幾分か必要なるべし。
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一体医者の為めには、軽い病人も重い病人も、贅沢薬を飲む人も、病気が死活問題になっている人も、均しくこれ casus である。Casus として取り扱って、感動せずに、冷眼に視ている処に医者の強みがある。しかし花房はそういう境界には到らずにしまった。
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兄の死を冷眼視するほど、彼女が厚顔無恥であるとしたならば、彼女を思い知らせるには、そうだ!彼女を思い知らせるには。
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本名は黒岩周六。黒岩涙香のほか、香骨居士、涙香小史、冷眼士等などの筆名を用いた。号は古概、民鉄、正調庵、黒岩大。
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