ほぼ全焼

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  • 宝永4年2月13日に北四番丁から出た大火では柳町がほぼ全焼した。
  • 中尊寺には、建武4年に大きな火災があり、金色堂を残してほぼ全焼してしまった。
  • 旧居室含め建物および資料はほぼ全焼したが、西隣の堅牢な日銀支店のおかげで部分的に建物が残り、その影となった部分の瓦屋根は異質な状態となった。
  • また、関東大震災、東京大空襲でもほぼ全焼し、多くの犠牲者を出したが、そのたびに不死鳥の如く復活した。
  • 城内におかれた米蔵等は1821年の高岡大火の際にほぼ全焼したが、その後再建され明治に射水郡議事堂が建設されるまであったという。
  • また、東京出張中の昭和25年11月27日夜間には市庁舎がほぼ全焼という事件が起きている。
  • 火災は店内に一気に広がり、店延べ約96平方メートルをほぼ全焼 した。
  • 応仁3年には細川勝元方に加担した覚王院の円海を中心とした兵により新熊野は焼き討ちにあい、ほぼ全焼した。
  • 第二次大戦の大阪大空襲で社殿をほぼ全焼した。
  • 計54台もの消防車が出動し消火にあたったが、火は6時間にわたって燃え続け、同ビルはほぼ全焼した。
  • この建物はホワイトホール宮殿の大改修計画の一部として建設されたが、その後イングランド内戦へと至る政治的対立が激化していたために計画は凍結され、後に1690年代の火災によって旧ホワイトホール宮殿はほぼ全焼した。
  • モスクワの主要な建物は木造のため市街はほぼ全焼し、フランス軍は冬を前に食糧の入手に失敗し、ナポレオンは進退に窮した。
  • なお、慶長12年に平戸城は大火に襲われてほぼ全焼し、再建されたのは約100年後の宝永4年、第5代藩主松浦棟の時代になってからであった。
  • 火災により3階から上はほぼ全焼、その後防火設備を最優先とした修復により、売場面積を大幅に縮小させて現在に至る。
  • 該当車両は、西日本JRバスのメガライナーであり、車体をほぼ全焼し廃車となった。
  • 応仁の乱でほぼ全焼し、その後も焼失・再建を繰り返しているが、護摩道場前に建つ五重塔は創建当時のまま現在に残る。
  • 室町時代になり応仁の乱が勃発すると、この地も戦乱に巻き込まれ応仁3年には細川勝元方に加担した覚王院円海を中心とした兵により新熊野は焼き討ちにあい、ほぼ全焼した。
  • いわゆる焦土作戦や市内の火災によって市街はほぼ全焼()。
  • 新駅舎は当時の日本海側有数の大規模駅舎として開業したが、度重なる災害に襲われ、1961年には駅舎内にあった国鉄新潟支社の仮庁舎から出火し、支社部分をほぼ全焼するという火災に見舞われた。
  • 原爆被災により本館は大きく損傷し建物内部もほぼ全焼したが倒壊を免れ、応急修理を経て1946年9月には本館での講義・研究が再開された。
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