どう工面
19 の例文
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しかも返礼の品まで付けるので、出費は摂関家の方が多い。そうした費用をどう工面するかが、御家門様の器量の見せ所なのである。
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費用をどう工面したかとさらに問う修一に、時子は答えられず泣き出した。修一の帰還を知って再び訪ねてきた秋子は、浩の入院のことは修一には言わないほうがいいと忠告する。
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二人が薄暗い燭台の前に坐った時に、雨の音はまだやまなかった。お園はどう工面したか二両の金を餞別にくれた。それから自分が縫ったといって肌着をくれた。
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そんな中でも、やはり時には女のいる街へ出かけた。どこをどう工面したのか、記憶にはない。今おぼえているのは、ファジェーエフとか、カターエフとか、オストロフスキイとか、その度に古本屋へ持って行った作家たちの名前だけだ。
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どこへ行ったのか妻のやすさえも知らなかった。しかし、その二日の間に、どこでどう工面したのか、哲朗は二千円の現金をつくって来たのだった。金の出所を、哲朗は死ぬまで誰にも話さなかったので、今でも二千円は謎の金である。
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宮田に事を打ち明けて、私服の調達を頼んだ。どこでどう工面したのか、三日と経たぬうちに、宮田は三人に、中古の作業服や国民服を持って来てくれた。
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勤めに出る前にコーヒーは飲ましてくれる、クリームは沸かしてくれるといったぐあいで、そのクリームも本物を手に入れてくるような始末。それに、どこからどう工面してきたものか、ちゃんとした制服をこしらえるために十一ルーブリ五十コペイカほど工面してきました。
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どう工面したのか、膳椀の類も揃いはじめていた。季節のものが取り合わせられて、よく食卓にのぼった。
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珠子はそんな昔話を祖父から聞かされてはいたが、みかじめ料を払わないため菊池組から厭がらせを受けていることまでは知らなかったので、いつか祖父が騒ぎに巻き込まれるのではないかと心配した。「三日にあげず」と表現したのは宏だが、謙三が飲みに行くのは「ジャスミン」だけではないのだから、ほぼ毎晩どこかで飲んでいるわけであり、そんな飲み代をどう工面しているのかも不思議のひとつだった。徳永広宣社からの収入では、たとえスタンド・バーであろうと、居酒屋であろうと、小一時間飲んだだけでなくなってしまう筈だ、と、これも宏が珠子に言ったことである。
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七時間商売に精を出して夕方帰ってみますと、驚いたことにはもらいが二十六シリングと四ペンスもありました。でも記事を書きあげてからは、そのことはすっかり忘れていましたが、その後ある友人のため手形の裏書きをしたため、二十五ポンドの支払命令書を背負いこみ、この金をどう工面したものかと途方にくれているとき、ふと胸にうかんだのがこれでした。私は債権者に二週間の猶予を乞い、社からは休暇をとって、変装して下町で乞食をはじめました。
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これにより約600 kmの距離を約6時間30分で結び、トラックの荷物を列車に載せ替えるほか、トラックそのものを列車に搭載するとしている。その効果として、二酸化炭素削減やトラックドライバーの人手不足の代替を担うことが見込まれているが、約2兆円とされる事業費をどう工面するかの道筋は立っていない。NEXCO中日本協力のもと、開通前の和田島トンネルでは、テレビドラマ『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』の撮影が行われていたり、他のトンネルや本線上でテレビ撮影も行われている。
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目下のところ、うち中で一番威勢のいいのは初太郎で、 「敵は幾万ありとても」 などと口ずさみ、廊下で出逢いがしらにたみとぶつかりそうになると、おどけて敬礼をしたりする。門倉の口利きでたみに賞与の一部を用立ててもらい、あとはどこでどう工面したのか、山師仲間の金歯とイタチと組んでひと仕事するメドがついたらしい。物音がしないので、昼寝でもしているのかとさと子が部屋を覗くと、鳥打ち帽を頭にのっけた初太郎が古ぼけた地図をひろげている。
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どういうわけか、ほかのバラックよりましなのばかりで、遠目にも一応家屋の体裁が整っていた。どこをどう工面したのか、窓ガラスなどもはまっていて、焼け跡の冬のはじめの物淋しい夕暮れ時になると、鈍い電灯の光がその窓から洩れた。電灯の光は、うす暗いかわり、その鈍さが暖かみを思わせた。
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思いのほか巨額の為替をちょいちょい送ってよこして、倉地氏に支払うべき金額の全体を知らせてくれたら、どう工面しても必ず送付するから、一日も早く倉地氏の保護から独立して世評の誤謬を実行的に訂正し、あわせて自分に対する葉子の真情を証明してほしいなどといってよこした。
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思いのほか巨額の為替をちょいちょい送ってよこして、倉地氏に支払うべき金額の全体を知らせてくれたら、どう工面しても必ず送付するから、一日も早く倉地氏の保護から独立して世評の誤謬を実行的に訂正し、あわせて自分に対する葉子の真情を証明してほしいなどと言ってよこした。
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講演の内容は、今から思えば冷汗ものであるが、持って歩いたレコードが、日本では、まだ珍しいものでもあった。ベートーヴェンのシンフォニーなどは、世界中に手を回して、九つのうち八つまでは集めたが、どう工面しても「第九」の合唱シンフォニーをきく方法がなく、スペインのレコードに、その合唱の部分だけはいっているときいて、スペインから取りよせる計画までしたものである。ヘンデルの「救世主」をイギリスから取りよせて、東大できかせた時などは、ある学生は感激のあまり、本郷から淀橋の自宅まで歩いて帰ったといって手紙をくれた。
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紅とも分らないほど褪せてゐる紅でも、二十歳のぼくには何かあたゝかな睡眠へのいたはりになるのだつた。二十匁の“あやめ”が、粉もなくなる頃には、あの貧乏な中を、どう工面して送つてくれるのか、次の“あやめ”が屆いた。その後、俳句や川柳の會へ出初めて、自分の號を、自分で雉子郎とつけたのは、燒野の雉子、夜の鶴といふ古くさいむかしのことばどほりな母にたいして、自分も、古い子どもで居ようといふ氣もちからであつた。
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