さく柄
全て
名詞
18 の例文
(0.00 秒)
-
凶作という自然がもたらした難局が相手ということでは同情の余地があるものの、治憲はいささかこころもとない思いをすることがあった。加えて今年の米の作柄はどうかという今日ただいまの心配がある。幕府に参府延引の願いを届け出た三月下旬の気候は、特に凶作を予想させるほどに悪いわけではなかった。
...
-
で、わずかな給金をね、食うものも食わず、着るものも着ずに倹約して、奥方の在所に送ってらしたに違えねえんです。話しながらふと真顔になって、今年の作柄のことをお訊ねになりやした。
...
-
日照不足と長雨による影響で米の作柄が心配されるようになった。結果として、この年の日本全国の作況指数は「著しい不良」の水準となる90を大きく下回る74となった。
...
-
私は挨拶がすむとすぐに今年の作柄について聞く。百姓との話の最初に作柄を聞くのは禮儀のやうなものであらう。若ものは今年は先づ先づいいと答へ、自家の前の一段歩ほどの田を指して、ここは青年團の多收穫のための試驗田であると云つた。
...
-
治憲は蓑笠を着て馬上に濡れそぼっている頼元から目をそらした。作柄の見通しを言うことを避けた頼元の返事は、気にいらないものだった。だが目の前にひろがる光景は、返事のとおりにただならないものに見えた。
...
-
-
この出来事が、現在の成人への通過儀礼や豊作祈願の行事へと変化したという。また、主食であるヤムイモの作柄を占うために始まったとも言われる。
...
-
なぜでしょうか。雫石という村が、例外的に作柄のよい土地だったのでしょうかね。これはたいへん興味深い問題です。
...
-
最初に訪ねて行つた家で逢ふことの出來た青年のSは、この夏父に死別して一家を双肩にになふことになつたばかりの人だ。私は挨拶がすむとすぐに今年の作柄について聞く。百姓との話の最初に作柄を聞くのは禮儀のやうなものであらう。
...
-
また、十村には槍や鉄砲などの武器が与えられ、逆らう農民の殺害も許されていた。それまで税率は作柄により変動していたが、利常はこれを改め税率を固定した。これを「定免制」と称する。
...
-
男たちは、羅紗の上衣に窮屈そうにからだを包んで、このほうは遠慮のない歩き方でやってくる。二人ずつ並んで、作柄の話かなにかをしながら。シコと女房は、気もそぞろに、せつながりながら、彼らを迎えた。
...
-
その上で家屋補償では建築技師に1軒ごとの測量と製図、家屋の材料を吟味させて補償価格を決定。農地と山林については作柄に応じて坪単価・用材別単価で価格を算定した。また流筏業者を始め、ダム建設によって転業や廃業を余儀なくされる住民には推進本部に所属する社員が木目細やかな対応を行い、就職先斡旋や生活設計相談に応じた。
...
-
国信の弟子入りした師匠も、もとをただせばこの国輝の門下につながる人物であったという。ただし作柄は師匠筋に似ず、刃文は直刃が多く、脇差、平作り脇差をよくした。それはそのまま、国広、国信の作柄へと受け継がれている。
...
-
伊左衛門、と綱島頼元を呼んだ。「今年の作柄をどう思うか」 頼元はすぐには答えなかった。笠の先を少し押し上げるようにして、長い間稲田を眺め回してから言った。
...
-
正宗の偽物を作刀したことで破門されたという説もある。作柄としては、左利きのため茎の鑢目が勝手上がりになるになるという特徴がある。刃文は師国広に似る。
...
-
小河原虎吉が、開窯。日用品を意識して製作されたものが多く、無駄な飾りや技巧を省いた質素な作柄で知られる。
...
-
もし十年前に書かれていたら私小説になっていたかもしれない。「冬のかたみに」の作柄が私小説と異るとは、誰もが認めるだろう。立原正秋はかねがね、私小説はいくら傑作でも感想文に過ぎない、と貶していたが、確かに自分の過去を感傷を交えてめんめんと語る私小説の語り口は、ここにはない。
...
-
豆を並べて焼き、焦げ具合からその年の作柄や月ごとの天候を占う。文献での初夢の初出は、鎌倉時代に西行が著した『山家集』巻上の「年くれぬ 春くべしとは 思ひ寝に まさしく見えて かなふ初夢」である。
...