この元号

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  • この元号に関連して当時の満洲国皇帝を康徳帝と称すことがある。
  • 源氏と平家の争乱の時代で、平家方ではこの元号を使用せず寿永を引き続き使用していた。
  • イェスン・テムルは廟号を贈られなかったため、この元号を用いて泰定帝と呼ばれる。
  • この元号への改元に伴って、としの数え方が「載」から「年」に戻された。
  • 楊慎『滇載記』にはこの元号の記載はないが、建徳に先行して盛明が存在したという記録もある。
  • 源氏と平家の争乱の時代で、源頼朝の源氏方では、この元号を使用せず治承を引き続き使用していた。
  • アリギバは即位後2ヶ月で廃位され、廟号を贈られなかったため、この元号を用いて天順帝と呼ばれる。
  • しかし李兆洛の『紀元編』では光聖を克聖とも称すものであるとし、この元号の存在を謳っている。
  • また鄧洪波もこの元号に言及していない。
  • 源頼朝の源氏方ではこの元号を使用せず以前の治承を引き続き使用していたが、源氏方と朝廷の政治交渉が本格化し、朝廷から寿永二年十月宣旨が与えられた寿永2年以降、京都と同じ元号が鎌倉でも用いられるようになる。
  • ちなみに、藤原定家はこの元号について、「福」を初めて用いた唐の「景福」以来大乱に縁があり、この「福」の一字を用いた元号であるとしてこれを非難している。
  • 李崇智はこの元号について項を設けているが、『明史』『明紀』『江津県志』がいずれも元号に言及していないことを挙げ、実在を断定していない。
  • 李崇智は謝国楨『南明史略』付録「大事年表」に「雲南の李天極、朱六非が1707年に元興元年を称した」とあるのを引いた上で、1706年文興3年を称した魏枝葉の顛末と類似している点を根拠に、この元号の存在を否定している。
  • 李崇智は『東華録』の記述に依拠し、「東明起義軍」の項目を立ててこの元号の考証をおこなっており、首領の姓名は伝わっていないとしている。