ことわるまでもなく
17 の例文
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しかし重い監禁の罰に処せられたものは、修道院ではかなり長いあいだ、極印をおされたも同然である。ことわるまでもなく、罰せられたものはその後特別な監視を受ける。彼とつきあうことは危険であり、悪い評判を招く。
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上記の二人の乞食も、おそらく、それをやったにちがいない、つまりパンだけしか食べないで、夜はほとんど青天井の下に寝たにちがいない。ことわるまでもなく、ロスチャイルドになろうという意志は彼らにはなかった。これは雑物をのぞき去った形のアルパゴンかプリューシキンの類いで、それ以上の何者でもない。
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アメリカのコメは日本の空気を新鮮にしてくれますか、日本の生態系を守ってくれますか。ことわるまでもなく、アメリカのコメがそんなことをしてくれるはずはありません。こういった、目にはつかないがとても大きな仕事をしてくれるのは、それぞれの国の農業です。
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これが正しい答である。ことわるまでもなく、山の神さまは組織宗教の神とは別である。
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再生機械が彼のコレクションを変える、ひいては彼の愛好する芸術そのものを制約してゆく、と私の言うのはここである。ことわるまでもなくカペーの演奏そのものをつまらぬとは申さない。カペーの弦楽四重奏曲が神品と賛えられるなら、もし再生装置が大シンフォニーを鑑賞するに支障ない程度に進歩しておれば、当時、カペーと同格の神品とも賛うべき交響曲のレコードが、あったに違いない。
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ことわるまでもなく、ハンセン氏病について有効な治療法が確立していない時代の話であるが、底辺社会の実証的な調査研究がこのような体当りのコミュニケーションでしか行えなかった時代のあることは、忘れてはなるまい。草間八十雄はそのような時代のパイオニアである。
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まあ、人の懐を気にするのはともかくとしても、望遠鏡が普及してくると、ガリレオはそういつまでも安閑とはしていられなくなる。こういう人間の視覚能力を増大させる便利な道具が発明される以前は、ことわるまでもなく、天体観測は肉眼によって行われていた。肉眼でも、一六世紀末に活躍したティコ・ブラーエのように、観測誤差が角度にして二〜三分という精緻をきわめた例もあるにはあったが、しかし、いくらがんばったところで、しょせんは見える物しか見えない。
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すでにここまで書きすすめてきた今でさえ、わたしはこの『思想』を語ることのどうにもならぬむずかしさを感じている。そのうえ、わたしは、ことわるまでもなく、それをそのころの形で、つまり今ではなく、その当時それがわたしの頭の中で組み立てられ、思索されたそのままの形で述べなければならぬわけで、これがまた新しいむずかしさなのである。ものによっては語ることがほとんど不可能である。
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実のところ、右のチューナーは拙宅にあったのを提供したもので、ことわるまでもなくアメリカ製を東京で使用する場合は、受信周波数を日本のバンドに直さねばならない。私のものは、ナショナルの音響研究室でコイルを巻きかえてもらい、調整を頼んだ。
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わたしの考察では、遺産に関するこの手紙の問題は良心の問題で、だからわたしが、ワーシンを裁判官に選ぶということは、そのこと自体によってわたしがどれほど深く彼を尊敬しているかを彼に示すことになり、それはもちろん彼の自尊心を満足させるにちがいない、とこう見たのである。ことわるまでもなく、わたしは真剣にこの手紙に心を悩ませて、実際に第三者の裁定にまかせる必要を痛感していた。とはいえ、それでもういっさいのはたからの助けがなくても苦境から脱することができるだろうとは、やはり思われなかった。
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もっともこの詩人は、情婦を奪われたときなど、人前では平静をよそおうが独りになると自尊心を傷つけられた屈辱感でカンシャクをおこし、暴れたりする。そういう人間の真実味を、というよりむしろ尊大ぶった詩人の内にある俗物性をえがいていると、私には思えたが、ことわるまでもなく、こういう俗物が実は詩人と呼べるかどうか。つまりフィッシャー〓ディスカウは詩人でもなんでもないので、それを大芸術家のごとく畏敬する貴族婦人や医者が、舞台上で右往左往するのでは、いっそパロディで劇を構成した方がいいのではないかと私には思えた。
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このうち、ロイエンバーガー博士は目下国際基督教大学に客員講師として来日中とかで、博士はカール・バルトの弟子ということだったから、レコードを聴いたあとはバルトの弁証法神学がわれわれの話題になった。ことわるまでもなく、私は基督教徒ではない。日本のジャーナリズムでマゲ物作家とよばれる私が、バルトの弟子と神学について語るなどといっても、日本では通用しないだろうし、私にどれだけバルトが理解できているかも疑問である。
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この間に橘則光、藤原棟世と結婚しているが、いずれも失敗におわっている。紫式部の『源氏物語』と並称される随筆『枕草子』は、ことわるまでもなく彼女のものであるが、その彼女にも和歌はうまく詠めず、父の歌人としての名声を傷つけるのではないかとおそれていたと一般にはいわれている。中古三十六歌仙の一人。
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百余のシンフォニーを書いたハイドンさえ、ベートーヴェンの下敷みたいなものだった。ブラームスは、ヴァンサン・ダンディ式に言えば「その交響曲の大荷物は、進歩としてではなく以前のものの継続としてしか価値がない」 ことわるまでもなく、青春時代にクラシックを聴く初心者の側で私は言っているが、だからチャイコフスキーの資性は、バレー組曲にすべて結晶していると言う。メンデルスゾーンやドヴォルザークはしょせんは亜流の交響曲だろう。
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ことわるまでもなくイエズス会は、正統教会に属する、教皇直属の宣教軍団であった。けれども、反宗教改革の先頭に立ったこの修道会は、禁じる側の論理をもっとも突き詰めると同時に、オカルト的思潮が保持していた瞑想法を積極的に取り込んでいて、いわば正統と異端の高い緊張点で接していると言えるので、あえてここで引用するゆえんである。
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大阪S氏のアルティック“A7”で鳴らしたが、よくない。ことわるまでもなく、市販のレコードは、カッターで直接カットしたラッカー盤を原盤とし、これをメッキし、再度プレスしたものである。私のラッカー盤は、これらの二工程を経ていないから、理論的には、よりマスター・テープに忠実といえるだろう。
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