おかめ八目
30 の例文
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そして、ジョクが敵対するようになってから、ショットの活動は、より拡大の一途をたどっている。そのように見えるのは、岡目八目ということなのかもしれない。アの国の聖戦士であったときには、見えなかったことが、第三者の立場に立てば、見えるようになる。
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目八譜は、旗本で赭鞭会のメンバーであった、武蔵孫左衛門が編纂したもので、991種の貝が収録された図鑑である。雪斎の作品の中では最も早い年代のもので、目八とは岡目八目と貝の字を分けると目と八になることから付けられたものである。
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なんて、かように解釈のしようはいくらでもある。あとからならなんとでも言えるし、岡目八目でもある。空々の勝因や行動の理由は、実は全然違うものかもしれないし、花屋の敗因や死んだ理由もまた、全然違うものかもしれない。
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自分が、岡目八目と云うものの真価を、あまり考えなさすぎたことをつくづく思う。つまり、それを超える価値高いものまで、自惚で、自分の眼に間違いはないと思ったこと。
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心の軽い浮かれ者たちは、 踵で、感覚を持たぬ藺草をふみ散らすがいい。ぼくはあの古い諺に言われているように、 ローソク持ちの岡目八目ということにしよう。ゲームは今まさに最高潮というところで、ぼくは神妙におりるよ。
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これも単なる事実の問題である。岡目八目と言って、指摘する方が有利である。作る方が開き直るとすれば「それならお前が作ってみろ」ということになる。
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一とわたり新作落語を見渡して、ざっと以上のようなことを考えた。岡目八目的な見方をしているかもしれないが、すぐれた新作誕生に期待するあまりの雑言だと、許していただきたい。
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ただ自分の眼で自分の夫を択ぶ事ができたからよ。岡目八目でお嫁に行かなかったからよ。
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正しくは江戸では御用聞き、関八州では目明かし、上方では手先あるいは口問い、と各地方で呼称は異なった。岡は「岡目八目」と同じく脇の立場の人間であることを表し、公儀の役人である同心ではない脇の人間が拘引することから岡っ引と呼ばれた。岡っ引は配下に手下、下っ引と呼ばれる子分を持つ事も多かった。
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おれは文字には明るくねえが、それでも論語、孟子、十八史略、日本外史などは一通りはおそわってきた。しかしああいうものをなまじいすると、つい自分の信念を自分で岡目八目流にじろじろ看視するようになって、腰のぐらついた人間ができるとおれは悟った。そこへ行くと孫子、呉子といった兵書はいい。
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出来やすきを取るが故に捨てるも捨てられるも皆その時の運とあきらめるは年来僕の取り来りし道にぞありける。岡目八目これを見て頻に襤褸買といひしも一理なきにあらざるべし。襤褸買は安物買の銭失ひをいふ。
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その芸がこちらと関係がなく、例えば文楽の三味線弾きとか彫金の名人とかであるとしても。従ってこれが西洋音楽の演奏家となれば、素人にも多少の予備知識があるから、岡目八目的な面白さを生じる。ギーゼキングとグレン・グールドとリヒテルとホロヴィッツとを比較するとなれば、そこに如何なる名人芸の相違があるか、読者を納得させるように説明することは容易ではあるまい。
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岡場所の「岡」は傍、脇、引いては局外の意と辞典にある。岡惚れ・岡目八目などみな脇からのチョッカイである。岡場所も公認の吉原に対する、局外のセックスマーケットにほかならない。
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諸君は、私よりよくご存知かもしれない、いわゆる岡目八目という諺もあるから。とにかく、私の心配は浅薄だった。
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金田一は九十郎を呼び出し、隠していたものを発見したと告げて反応を確認する。そして、村で孤立した立場に居て「岡目八目」で村内の諸々を冷静に観察していた九十郎が、由紀子を呼び出す手紙を村長夫人から預かったあと一旦開封して読み、その計画を利用して村に復讐しようとしたと指摘する。康雄を眠らせて林の中へ移動させ、由紀子を殺害したあと村長夫人を訪ね、密通を村長に知られたと言って身を隠すよう唆し、間道へ連れ出して殺害した。
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確かに厳密には別物だけど、折角色々選べる機会なんだから、バリエーションを求めろよ。とか、実際、そんな風に岡目八目の口出しをしてやってもよかったんだけれども、容姿に加えて古風な言葉遣いで衆目を集めている忍と、レジ前でお馬鹿な掛け合いを行うだけの耐久力は、さすがの僕にもないのだった。店員さんの反応からすると、どうやら何かのアニメからの影響を受けての、忍のその言葉遣いだと解釈されているようだったけれど、そんな勘違いに乗っかれるだけの図太さも、僕にはない。
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側で見ていると、岡目八目でよく分る。
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三に、家族がいないところ、という。これはまことに適切な助言であって、原田社長は遊び人ではないからこそ、岡目八目で、男女の機微に通じることがおできになるのだろう。ところで、これは、恋愛と構えるまでもなく色ごとにも通じるのはいうまでもない。
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なぜとくにロスチャイルドだけが、天与の機会を最大限に利用しえたか。一言でいえば、それは彼が他の同業者たちよりも、つねに必ず一歩を先んじていたという炯眼であり、そしてまた彼が、敵味方いずれの特定一国にたいしても、完全に祖国的感情を持たないという、いわば岡目八目的な絶対強味であったといってよい。終始彼は、ヴィルヘルム九世をはじめ、あらゆる政治的有力者たちにたいして、積極的に接近の手をうつことを忘れなかったが、もちろんそれは政治的野心からでもなければ、政治的党派心からでもない。
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岡目八目もいいところだ。
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憎らしい砂利、砕石の層が次にあり、柔らかい土に届くまでに一服を六回もやった。ボクシングのセコンドのように、妻がタオルでそのたびに額を拭き、ああしろこうしろと、岡目八目を並べたてる。家の前は四メートル程の幅で、前の家には五十歳くらいの父親と若い息子が二人いたので、その日の内に道路は徹底的に掘り返され、所々にガス管や水道管が顔をのぞかせている荒れ地に変った。
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テキストはカルマン・レヴィ版の第五十版本によった。本書の抄訳本には大正三年に新潮社から出た「日本印象記」と、明治二十八年に春陽堂から出た「おかめ八目」がある。両書とも残念ながらわれわれの期待するものとは遠い当時の意訳ものであるが、今日からみればいずれも珍書の一つに数えられよう。
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オカメソバには、カマボコ、椎茸、湯葉、ホーレン草、タマゴ焼き、サヤインゲン、ナルト、ノリなど八品目が入って、 「中華ソバ屋の五目ソバより三目多いオカメソバ」 というわけだ。岡目八目の岡目は傍目で、 「傍で囲碁を観ていると筋がよく読め、対局者よりは八目ぐらい強い」 ということから、局外に立ってみることの大切さを説いている。
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両書とも残念ながらわれわれの期待するものとは遠い当時の意訳ものであるが、今日からみればいずれも珍書の一つに数えられよう。こころみに、いま「おかめ八目」の中から、現代の読者のためにその戯作文調の訳文を引用してみよう。
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学校の倫理の先生が幾ら偉い事を言ったって、つまり生徒は生徒、自分は自分と離れているから生徒の動作だけを形式的に研究する事はできても、事実生徒になって考える事は覚束ないのと一般である。傍観者と云うものは岡目八目とも云い、当局者は迷うと云う諺さえあるくらいだから、冷静に構える便宜があって観察する事物がよく分る地位には違ありませんが、その分り方は要するに自分の事が自分に分るのとは大いに趣を異にしている。こういう分り方で纏め上げたものは器械的に流れやすいのは当然でありましょう。
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といっても、お膝元の江戸だけは、さすがに目明しの名称を遠慮して岡っ引といった。岡っ引の「岡」は岡惚れ・岡場所・岡目八目の岡で、正規でなく、横からの意、犯人を横から引っぱるから岡っ引となるのだそうだが、当てにはならない。多分こじつけだろうが、岡っ引という言葉のひびきが、江戸市民の好みに合っていつか定着した。
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爆発には爆発を以て、報いてきた。「助言を求めたのを忘れたのか」「信念と頑固とをとりちがえている」「岡目八目という言葉を知らぬか」等々。集中砲火を浴びせた後、「A」がきめつけた。
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もつと書きたい事もないではないが、何しろ原稿を受け取りに来た人が、玄関に待つてゐる始末だから、今度はまづこの辺で御免を蒙る事にする。悪口は岡目八目の然らしむる所以だと大目に見て頂きたい。
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